この頃から、月刊明星や平凡で自分の好きなアイドルが記事になっていれば買ってきては切り抜いていました。ピンナップやポスター、もちろんブロマイドを部屋に貼ったり下敷きに挟んだり。でもアイドルおたくになったということではなく、当時の少年のごく普通の行動でした。テレビアニメよりも興味あることが出来始めた頃、自分たちよりちょっとだけ年上のアイドルが出現、あこがれと親近感、いや、断然あこがれ。ちょうどニキビのでき始める頃で異性の目が気になりだし、髪型を気にし、鏡を見始める頃。アイドルは手は届かないものの、想像力の中で勝手に身近にいてくれる。アナログの限られた情報の中で妄想は膨らむだけ膨らみました。
時代の仕掛けもちょうど演歌やthe歌謡曲から10代のアイドルを送り出す方向に向かっており、麻丘めぐみもビクター音楽産業の初めてのアイドルということで、レコード会社、事務所がキッチリと方向性やビジュアルを決めて「アイドルは夢を与えるもの」としてデビューから一貫して純アイドル路線を貫いていました。そのあとを僕ら当時の少年は一生懸命追いかけたのです。
この頃、デビューするアイドルは、それぞれの個性と出す側の理想があり、出す側の力の方が少し上でその理想とする世界観を作り上げ、本人の本当の姿とは多少、時には大きく違うアイドルAを言わば「創って」いました。いい意味でも悪い意味でもそれは「プロの仕事」で人の心や時には社会まで動かす大きなものにもなりうるものでした。
こうして日本の芸能界にもアイドルデビューの波が押し寄せてきます。
隣の美代ちゃん、浅田美代子や中三トリオ。男では新御三家とはいえほぼ郷ひろみと西城秀樹の一騎討ち。新曲の衣装を真似したとか盗んだとかまで話題になりました。アイドル一般論も別途書きたいと思います。